2007年05月14日 (月) 02:17 | 編集
先日このコラムをよんで「再定住」という言葉を知りました。自分の「居場所」と言えば、数年置きに人生の節目節目で確認してきたように思いますが、大旨、絵描きと言う職業としての自分のポジションやスタイルを見直すとか、「居場所」と言っても「社会の中で自分はどんな歯車になるべきか」と考える作業がほとんど全てでありましたので、このお話には新鮮さを感じると共に、若干、最近の自分の心境との奇妙な類似を憶えました。
思えば、高校を卒業する辺から、年をとる事や周りの環境の変化に絵描きとしてのキャリアが追い付かず、常に焦りを感じては立ち往生してしまう自分に失望するやら呆れるやら、諦めて歩き出すやらのくり返しをしてきました。
30代も1/3を過ぎて、鎌倉に来た今もそれはずっと続いているのですが、最近はその「立ち位置」を探ろうとする意識がさらに別の方向にも向いているような気がしています。
上手く説明できないんですが、早朝のお寺から聞こえる鐘の音、子供のおしゃべり、木々の色の移り変わり、夕焼けの浜と潮風、川の音、夜空の静けさ、などなど。渋谷の環境とのギャップが激しかったせいか、雑音が減って日々の環境の変化を感じる事ができるようになった事も、こんな心境に影響しているのかも知れません。
鎌倉の環境を知る上では、神社や仏閣は切っても切れない存在であることは皆さんもよくご存じだと思います。僕も自分の周囲の環境に興味をもってから寺社やその自然について見聞きしていますが、その延長で、神仏そのものに関する本などもまた、読む機会が増えてきました。特に仏教関係は、勉強すると歴史の話がもっと面白くなりますしね。
今より人間の「居場所」としての「自然」が、人の作った「社会」よりもずっと大きな存在だった時代。人間の業や願望と自然との間に、ご先祖様たちが何かを見つけ出していたとすれば、安易に救いを求めているだけかも知れませんが、一方で意外と理屈に合う明解な答えがあるのではないかとうっすら期待をもちつつ、いい大人が自分探しです。
そして今日も相変わらず頭の中は売れたいし生き残りたいばかり。
煩悩は深いままです。(ゴ〜〜〜ン)